【編集者の仕事】「考える人」と金寿煥さん

『考える人』編集長・金寿煥さんのコラム

《金寿煥「考える人」と私》029(2021/09/16)
私が初めて対談を企画したのは、今から17年前、「考える人」2004年夏号においてでした。

《金寿煥「考える人」と私》028(2021/09/09)
加藤典洋、河合隼雄、関川夏央、堀江敏幸、養老孟司の五氏による座談会「大人のための本とは何だろう?」

《金寿煥「考える人」と私》027(2021/09/02)
創刊から7号目の「考える人」2004年冬号の特集は、「大人のための読書案内」。

《金寿煥「考える人」と私》026(2021/08/27)
「考える人」2003年秋号の特集「異文化都市『京都』を楽しむ・考える」。

《金寿煥「考える人」と私》025(2021/08/19)
創刊から6号目となる「考える人」2003年秋号は、読み返すのがつらい一冊です。

《金寿煥「考える人」と私》024(2021/08/04)
「一緒に本を作りませんか?」とお願いしたところ、こちらの申し出を予想していたのか南さんはニヤリと笑いながら、「お経のようなものを書きたいんです」とひとこと答えられました。

《金寿煥「考える人」と私》023(2021/07/29)
特集「からだに訊く」永平寺坐禅体験記+『語る禅僧』南直哉インタビュー

《金寿煥「考える人」と私》022(2021/07/15)
2003年春発売の「考える人」第4号は、とりわけ思い出に残る一冊です。

《金寿煥「考える人」と私》021(2021/07/08)
私は、特集に続き、この『伊丹十三の本』の編集スタッフとして、少しだけお手伝いをしました。

《金寿煥「考える人」と私》020(2021/07/01)
「考える人」創刊第3号の特集「エッセイスト 伊丹十三がのこしたもの」続編。

《金寿煥「考える人」と私》019(2021/06/24)
「考える人」創刊第3号の特集は、「エッセイスト 伊丹十三がのこしたもの」。

《金寿煥「考える人」と私》018(2021/06/22)
「考える人」創刊第2号の特集「橋本治と考える『女って何だ?』
どうにかして現在の「考える人」、つまりウェブ版で読めるようにできないか、と考えています。

《金寿煥「考える人」と私》017(2021/06/18)
 たけしさんに長時間インタビューをして、それを新書にまとめる――その担当を拝命したのです。

《金寿煥「考える人」と私》016(2021/06/03)
 なぜ松家さんは、村上春樹さんのロングインタビューに「一問一答方式」を採用したのか

《金寿煥「考える人」と私》015(2021/05/27)
 書き出しで読者の首根っこを掴まえ、インタビューイの語りの世界へ誘わなければいけない。

《金寿煥「考える人」と私》014(2021/05/20)
 「考える人」の比較的長尺のインタビューは、この「問わず語り方式」が多かったのです。

《金寿煥「考える人」と私》013(2021/05/13)
 今回はインタビューの形式、特にその「文体」に注目したいと思います。

《金寿煥「考える人」と私》012(2021/04/30)
 ……橋本さんは、ご自身でイチから原稿を書いて送ってこられました。

《金寿煥「考える人」と私》011(2021/04/22)
 橋本さんの仕事場で行われたインタビューに同席したのは、松家さんとSさん……

《金寿煥「考える人」と私》010(2021/04/15)
 第2号の特集は、「橋本治と考える『女ってなんだ?』」。

《金寿煥「考える人」と私》009(2021/04/08)
 「編集者として必要なことは全て坪内さんに教わった」

《金寿煥「考える人」と私》008(2021/04/01 )
 坪内さんはこちらの無知について怒ったり咎めたりすることはありませんでした。

《金寿煥「考える人」と私》007(2021/03/26)
 坪内さんは、「自分が物心ついた時に現役だった文筆家」に絞りました。

《金寿煥「考える人」と私》006(2021/03/18)
 2002年春、何とか無事に坪内さんとの”顔合わせ”を済ませ……

《金寿煥「考える人」と私》005(2021/03/11 )
 いよいよ坪内祐三さんにお会いする日がやって来ました。

《金寿煥「考える人」と私》004(2021/03/04)
 「金さんには、連載をふたつ担当してほしい」。

《金寿煥「考える人」と私》003(2021/02/25 )
 2002年1月の半ばごろだったでしょうか。……私に松家編集長が声をかけてきました。

《金寿煥「考える人」と私》002(2021/02/18)
 なるほど。雑誌にとってグラフィックはかくも大事なものなんだな――。

《金寿煥「考える人」と私》001(2021/02/12 )
 季刊誌「考える人」の創刊編集長松家仁之さんの意気込み。

読者のみなさまへ新編集長よりごあいさつ

社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。……

『考える人』メールマガジン No.900
「編集長よりごあいさつ」より

坪内祐三と『考える人』と金寿煥さん

 

  


坪内祐三さんは雑誌『考える人』の編集長・松家仁之さんから、創刊にあたり連載の依頼を受けます。その連載のタイトルが「考える人」。2002年春号から2006年春号にかけて16回連載されました。その連載を担当したのが金寿煥さんです。
坪内さんは単行本『考える人』のあとがきで、松家さんを生みの親、金さんを育ての親だと書いています。

編集者は最初の読者であるとは言いますが、金さんは、まさにその通りの人でした。私は「最初の読者」である金さんのことを常に念頭に置きながら、この「考える人」の連載を続けました。

坪内祐三『考える人』あとがき(新潮社/2006年8月)

単行本『考える人』は、雑誌『考える人』の連載から始まった金さんと坪内さんの18年の関係で出版された、たった2冊の本の一冊だそうです。

『本の雑誌』2020年4月号に酒中日記外伝座談会「オフサイドトラップに気をつけろ!?」での赤井紀美さん(東京文化財研究所客員研究員)、安藤善隆さん(編集者)との鼎談が掲載されていますが、その中に『昭和の子供だ君たちも』(装丁・菊地信義)の写真が掲載されていますので、もう一冊はこの本だと推察されます。

雑誌『考える人』と南直哉さんと“仏壇編集者”金寿煥さん

文壇があるなら『仏壇』があってもいい

WEBマガジン『彼岸寺』にライター・杉本恭子さんよる金寿煥さんへのインタビュー【文壇があるなら『仏壇』があってもいい新潮社新書編集部 金寿煥さんインタビュー」】(2012年9月26日・27日)が掲載されています。

禅で「身・息・心」を調える。
「語る禅僧」南直哉さん

金さんは仏教関連書を数多く手がけていますが、このきっかけが、雑誌『考える人』2003年春号の特集「からだに訊く」にありました。【[禅で「身・息・心」を調える。]永平寺坐禅体験記+「語る禅僧」南直哉インタビュー】を担当。「南直哉さんというすごい人がいるから」(編集長・松家仁之さん)ということでの取材だったようです。

2006年に金さんは3年がかりで南さんの本『老師と少年』を出版します。
さらに、 『考える人』2005年冬号で「考える仏教」、2011年春号で「考える仏教 『仏壇』を遠く離れて」と雑誌『考える人』の特集を組む一方で、新潮新書をはじめとした仏教関連書出版など、精力的に「仏教」「仏壇」と関わり続けています。

「文壇や論壇があって、演劇には演壇、絵画には画壇、俳句には俳壇がある。だったら仏教界に“仏壇”があってもいいんじゃないか」ということで、仏壇編集者の仏壇とは「お仏壇」ではないようです。
この「仏壇」を広めてくれたのが釈徹宗さんだそうです。釈さんとは『法然親鸞一遍』(新潮新書/2011年)を出版しています。

2006年に『老師と少年』を出版した金さんは、その後も南さんの本を手掛けていきます。
『人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―』
 茂木健一郎・南直哉(新潮新書/2009年04月)担当編集者のひとこと
『恐山―死者のいる場所―』南直哉(新潮新書/2012年04月)
『超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―』南直哉(新潮社/2018年01月)
『死の覚悟』高村薫・南直哉(2019年05月)

金寿煥さんが選んだ「諸行無常」な5冊

『老師と少年』 南直哉
『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』 末木文美士
『知的唯仏論 マンガから知の最前線まで――ブッダの思想を現代に問う』 宮崎哲弥・呉智英
『春の雪』 三島由紀夫
『親鸞「四つの謎」を解く』 梅原猛

 仏教が好きなので、「諸行無常の響き」を感じられるものをピックアップしました。中でも、おすすめは『老師と少年』。著者は、恐山で住職代理を務める禅僧です。「私はなぜこの世界に存在するのか」という少年の実存的不安に、老師がやさしく答えていきます。特筆すべきは、仏教用語が一切出てこないこと。不思議な読後感をもつ一書です。

 (「新潮新書」編集部 金寿煥)

新潮社『波』2008年10月号 新潮社社員が選ぶ「新潮文庫 わたしの5冊」